胃瘻について考える。
以前は食事が口から取れなくなると、鼻からチューブを挿入していました。これは、鼻やのどに違和感があり、患者さんにとっては気持ち悪いものでした。これにかわってできたのが胃瘻です。胃瘻は、口から食事のとれない人、飲込む力の無い人のために、直接、胃に栄養を入れるためのおなかに小さな「口」を作る手術です。内視鏡的に行いますから、おなかに5~6mm程度の傷がつくだけで、出血もほとんど無く、手術も5分から10分程度で終ります。軽い麻酔の手術で行いますので、苦痛は軽減されます。
それから、介護施設にとっては、嚥下障害のある高齢者の食事介助は時間と労力を要します。一人の1回の食事に30分かかることもまれではないでしょう。老人ホームなどでも、嚥下困難のある人などには、むせることも無く、長時間食事の介助をする必要も無く、管理しやすいので、施設の都合で胃瘻を勧められ、胃瘻を作られる患者が多ったのです。こういう施設の都合でなくても、患者が、嚥下困難になり、食事が食べれなくなると「食べれない状態が続くと、余命は1ヶ月も無いです。」と医師より家族に宣告されます。そうすると家族は当然のことながら「先生、何とかしてください。」などと言われて、結果として、胃瘻を作る場合もあります。
これが、診療報酬の面から変わろうとしています。政府は去年の保険改訂で胃瘻を手術で1つつくるごとに病院は10万700円を稼ぐことができました。ところが、それが一気に6万700円に減額してきました。胃瘻を使用して、状態の回復が望まれる患者には、報酬が加算されるようです。さらに、胃瘻を作れば、患者の栄養が確保され、状態は安定します。それで長生きします。政府側としては、長生きされると医療費が掛かるので、胃瘻は回復が可能な人以外はあまり、作る事を望んでいないことが、保険改定から、考えられます。胃ろうは装着したら、誰もが二度と外せないものではなく、正しい医療やケアが行われれば外せることもあるのです。ですから、認知症末期の人は胃瘻にすべきではないという考えが当たり前という風潮が広がえり、国の医療費抑制の動きに取り込まれてしまうのも患者本意ではなく、良いことではありません。数年前の社会保障国民会議で麻生太郎副総理の「さっさと死ねるように」と発言しました。人権を無視した心無い言葉に批判が起こり、その後、麻生さんは発言を撤回しましたが、世間では彼に同調する声も多かったと記憶しています。
また、厚生労働省が発表した「人生の最終段階における医療に関する意識調査」によって、終末期に国民が望む医療の姿が明らかになった。同調査は、無作為に抽出した20歳以上の男女5000人に郵送で調査を依頼し、44%の2179人から回答を得たものだ。がん、心臓病、認知症、交通事故で回復の見込みがなくなった場合に、どこで過ごしたいか、どのような医療を希望するかなどを調査している。いろいろな調査がされましたが、その結果、胃瘻については末期癌や認知症でも胃瘻を望まない人は、7割以上ということでした。
確かに胃瘻を作り、回復する人もいますが、多くは、認知症が進みますが、栄養状態はよくなり、長生きする場合が多いのです。しかし、認知症が進行して患者自分自身や家族の事もわからなくなったが、胃瘻により元気になり老人患者に、介護の手間とその費用がその家族に掛かり続けるのです。
医者サイドからのアドバイスは、回復する見込みがあるのか、認知症は軽いのか、重いのか、本人の生きる意欲があるのか? それから、家族は介護の手間とその費用をどう考えているのか。などではないしょうか。決まった答えはないでしょう。でも、本人の生きたいという気持ち、頭がぼける前にどうしたいのかをある程度話合っておくことが大事です。ケースバイケースで胃瘻を作るかどうかを考えなければいけません。いずれにしろ、尊厳のある生き方がしたいですね。