先日、放射能に詳しい理科の先生で活動家の川根先生と会ってお話をしました。その時の話について、書き出します。
福島県民の99%までが100ミリシーベルトまでの被ばくをしていない、と福島県立医大の山下俊一氏、鈴木眞一氏は言います。果たして、本当にそうでしょうか。
放射線医学総合研究所 栗原理氏の福島市の滞在での初期被ばくの資料があります。栗原氏の資料を見ると栗原氏は、2011年3月23日の時点で、ヨウ素131 約530ベクレル蓄積していました。この数値は、その後、徐々にさがっていきます。1番目のシュミレーションでは、2011年3月15日一回だけの内部被ばくであったとするとこの日に3400ベクレルのヨウ素131を摂取したことになる、と書かれています。それは福島市での内部被ばくです。
これは、福島市にいたすべての住民の内部被ばくに相当するかもしれません。「しれません」と書く理由は、栗原理氏は放射線医学総合研究所の理事です。屋外に出る場合に、N95のマスクくらい付けていた、と思われます。何も知らずに吸わされていた、福島市住民はこの栗原氏の数倍の内部被ばくをしたのではないでしょうか。福島市の人たちは、相当な被曝をしていたと推測されます。今後の甲状腺癌や白血病や癌などが多発すると思います。
福島県民の99%までが100ミリシーベルトまでの被ばくをしていない、と福島県立医大の山下俊一氏、鈴木眞一氏は言います。果たして、本当にそうでしょうか。
放射線医学総合研究所 栗原理氏の福島市の滞在での初期被ばくの資料があります。栗原氏の資料を見ると栗原氏は、2011年3月23日の時点で、ヨウ素131 約530ベクレル蓄積していました。この数値は、その後、徐々にさがっていきます。1番目のシュミレーションでは、2011年3月15日一回だけの内部被ばくであったとするとこの日に3400ベクレルのヨウ素131を摂取したことになる、と書かれています。それは福島市での内部被ばくです。
これは、福島市にいたすべての住民の内部被ばくに相当するかもしれません。「しれません」と書く理由は、栗原理氏は放射線医学総合研究所の理事です。屋外に出る場合に、N95のマスクくらい付けていた、と思われます。何も知らずに吸わされていた、福島市住民はこの栗原氏の数倍の内部被ばくをしたのではないでしょうか。福島市の人たちは、相当な被曝をしていたと推測されます。今後の甲状腺癌や白血病や癌などが多発すると思います。
川根先生のブログ「「「福島県住民の初期被ばくを追う(3)」 原発事故前の東電の全面マスク+酸素ボンベ着用基準は400ベクレル/m3以上 」にも載っていたので、ここに書き出します。
まず、第一に福島原発事故の以前から東京電力では、管理区域C区域では、全面マスクまたは反面マスクの着用が義務づけられていました。これは表面汚染が4万ベクレル/m2以上40万ベクレル/m2未満、空気中の放射性物質の濃度が40ベクレル/m3以上400ベクレル/m3未満でした。
さて、川俣町山木屋地区は2011年4月22日まで避難指示が出ていませんでした。そして半数の住民は残っていた。果たして、山木屋地区住民はどれくらいの放射性物質を吸い込んでしまったのでしょうか。ダストサンプリングのデータでは、2011年3月25日、15:05~15:22の空気は 555.00ベクレル/m3のヨウ素131を含んでいました。東電が定めた、宇宙服並みの酸素ボンベ付き全面マスク着用基準に相当します。しかし、行政の隠蔽工作により、大事な3/12から、3/22までの最も大事な時期のダストサンプリングのデータデータがありません。
話は変わりまして、下の図のセルAおよびBでの第1層大気中ヨウ素131濃度計算値の図を見て下さい。日本原子力研究開発機構が計算したシュミレーションとを合わせて考えると、2011年3月12日、3月15日、3月18日、19日、20日、21日、22日、23日、24日、25日と30日に大量放出があったことがわかります。特に、もっとも最大の放射能が放出されたのは、2011年3月15日の午後から夜にかけてではないでしょうか。しかし、大事な3/12から、3/22までの最も大事な時期のダストサンプリングのデータデータがないのです。
3月25日のヨード131の放射線量は、最大の放射能が放出された3月15日の10分の1以下であったと推測されます。10分の1の3月15日でさえも、宇宙服並みの酸素ボンベ付き全面マスク着用基準に相当するのです。空間線量も4.8μSv/hr(正常は0.1μSv/hr以下)です。最大の放射能が放出されたのは、2011年3月15日の午後から夜にかけてです。そのときのヨード131の放射線量はどんなに高い濃度であったのでしょうか?